新型コロナウイルス感染症が社会全体に大きな影響を与える中、改めてクローズアップされているのが医療現場におけるデータの利活用である。その取り組みを進める上での課題や医療におけるDXなどについて、和歌山県立医科大学の山本景一准教授に解説していただいた。
電子カルテの普及により、診療現場の多くのデータがデジタル形式で集積されています。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策でも数理モデルを活用した感染症疫学が導入され、デジタル化された保健医療データの利活用に対する期待が高まっています。
さらに医療では、次世代の保健医療の理想の姿として、“ラーニングヘルスシステム”という概念が提唱されています。これは学習機能が組み込まれた保健医療システムのことで、日常業務の中で分析可能な質の高いデータを収集し、そのデータから新しい知識を生成し、それを日常業務に反映するサイクルの確立を目指すことです(図1)。
図1.ラーニングヘルスシステム(イメージ)
Allen J. Flynn et al, 2018. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/lrh2.10054
日々の業務からデータを収集し分析結果を業務にフィードバックすることは、デジタルトランスフォーメーション(DX)の考え方に非常に近いものだと思います。たとえばアメリカでは、COVID-19対策としてNational COVID Cohort Collaborative (N3C)[1]と呼ばれる全米の電子カルテから共通のデータ標準で診療データを収集するプロジェクトが実施されています。2021年9月現在で65施設・790万登録・267万症例のCOVID-19症例データベースが運用中で、既に多くの研究で利用されています。これもラーニングヘルスシステム構築を目指した活動の一つと言えるでしょう。
COVID-19対策の中で、いくつかの日本の保健医療システムの課題が露見しました。
例えば日本では、重要なCOVID-19対策の一つとして“クラスター対策”が行われています。感染蔓延防止のために、感染者が発見されたとき、感染者ご本人を病院やホテル等の療養施設に隔離するとともに、その周辺におられた方を濃厚接触者として注意深く健康観察を行うものです。
地域の保健所で行われる積極的疫学調査と呼ばれる感染対策手法ですが、健康観察データの収集は、主に電話で調査を行いExcelか紙の様式に記録する形で行われていました。これは病床逼迫率や実効再生産数の算出にも利用できる、国や地域のCOVID-19対策立案に非常に重要なデータです。しかし全国レベルでの集計を行うことができず、国の対策本部では長らく都道府県が日々ホームページで公開している感染者数のデータを手作業で集計していたそうです。
診療データや保健所の積極的疫学調査のデータは、センサーで自動計測されるわけではなく、一定レベルの品質で出力されるようなものでもありません。また研究室での実験のように、科学的に管理された状況でデータ収集が行われるわけではなく、地域の保健所の保健師や病院の医師・看護師その他の医療者が、忙しい業務の中で日々記録するものです。
データを正しく分析するためには、このように生身の人間が多くの労力をかけて作成したデータであることを忘れてはいけません。通常でも最小限の人員で日々の業務を遂行している状況であり、パンデミックにより業務負荷が増大したことにより、データ記録の負担は極めて大きなものになっています。システムへの一定のデータの入力遅れ、入力ミス、入力漏れはどうしても発生するものですし、そもそも業務体制のキャパシティオーバーで、データ入力すらできない場面もあるかもしれません。
例えば感染者数の統計は、2週間前の感染状況を示していることは既に有名になっています。現実的な問題として、重症者や死亡者数の統計は、感染から重症化までのタイムラグを考慮したとしても、医療現場では患者さんのケアが優先されるために、さらに報告が遅れる可能性があります。本年6月にペルー政府が死亡者数の統計をこれまでの2倍以上となる18万人余りに修正したことが報道されましたが、決して他人事ではないのです。
データ分析者は、このようなデータ収集の状況を正しく理解し、データの精度や偏り(バイアス)を適切に考慮した上で分析を行う必要があります。急速に蔓延する感染症を前にして、激務で疲弊する現場を横目に、データに不備や不足があることを知りつつ、それでも今あるデータで何が言えるかを懸命に模索する……。それもデータサイエンスの一つの姿なのです。
私もかつてOracle DBA(データベース管理者)でした。データベース・エンジニアの方々には、ぜひデータの持つ意味に関心を持ってほしいと思います。
日本でのCOVID-19の死亡者数は17,000人を超えました。その亡くなられた方々は、ほんの2年前には普通に日常生活を送っておられた方々です。
最近、“エビデンス”という言葉が使われることが多くなったように思います。エビデンス・ベースト・メディスン(EBM)の定義は、「入手可能で最良の科学的根拠を把握した上で、個々の患者に特有の臨床状況と価値観に配慮した医療を行うための一連の行動指針」であり、“今、目の前にいる個々の患者さんのケアを最善にするために、今入手できる最良の研究結果(エビデンス)を利用しましょう”という考え方です。
例え日本の人口当たりの死亡者数が諸外国より低いというデータがあったとしても、今まさに人工呼吸器に繋がれて懸命に治療を受けている患者さんの予後の予測には適用できません。感染症対策では、社会全体の感染拡大防止というマクロ的視点と、個々の患者への最善のケアの提供というミクロ的視点の両立が必要です。
同様に情報システムを構築するにあたり、日常業務の効率化を目指すことは当然です。それと同時に、日常業務の中から質の高いデータを集積し、組織全体の状況を俯瞰できるようにデータ分析することが望まれます。そのためには、従来の紙やFAXの利用を前提とした業務体系を維持したまま、単にデータをデジタル化し蓄積するだけでは不十分です。業務効率化と分析可能な質の高いデータ収集を両立できるように、業務自体を変革(トランスフォーメーション)させる必要があります。それこそがDXの本質ではないでしょうか。
医療DXの進展により、患者さんにより良いケアを届けるとともに、同じ疾患に苦しむ未来の患者さんに有用なエビデンスを少しでも早く作り出し、地域や国民全体の健康寿命延伸につなげることができれば素晴らしいと思います。
超高齢化社会を迎えている日本では、病院完結型医療から地域完結型医療への転換が行われ、個人の健康管理は病院の中だけで完結できなくなっています。健康寿命延伸のために、病院の診療情報に加えて、母子手帳、学校健診、企業健診、特定健診、介護情報、ワクチン接種歴、日々の歩数や睡眠などのライフログ、気温や湿度などの環境情報、その他様々な情報を統合し、パーソナルヘルスレコード(PHR)として個人の健康管理に役立てるとともに、ビッグデータとして社会の福祉や公衆衛生の向上に利活用するための社会基盤を確立させることが必要です。
私は京大データヘルス研究会に参加し、PHR普及推進協議会[2]の理事として、PHRの研究開発と普及活動を行っています。COVID-19対策用健康観察PHRアプリを開発し無償公開を行ったところ、和歌山市保健所での積極的疫学調査を含む全国の約10万ユーザに利用していただいています[3]。
また京都大学医学部附属病院リウマチセンターで、リウマチ疾患の外来診療データを適切な品質管理を行いデータベース化することで「診療から見た研究と研究から見た診療の両立」を目指すリウマチ疾患データベース「KURAMAコホート」[4]の開発を行いました。このKUARAコホートの発展である関西6大学(京都大学、大阪医科薬科大学、大阪大学、関西医科大学、神戸大学、奈良県立医科大学)による「ANSWERコホート」[5]は、日本を代表する大規模リウマチ疾患データベースに育っています。
現在、KURAMAコホートのデータを利用し、強化学習で使われる数理モデルのマルコフ決定過程を用いてバイオ医薬品等の医療経済的有用性を評価する共同研究を実施中です。このプロジェクトでは、開発環境として「Oracle Cloud Infrastructure(OCI)」を利用しています。
最近は無償のデータベースばかり使っていましたが、久しぶりにOCIで最新のOracle Databaseを使ってみて、心から面白いと思いました。OCIは、データベースを中心にクラウドや開発環境その他の最新の機能を付加していっているのが、いかにもオラクルらしいと思います。
並列分散処理プラットフォームをデータフローサービスと言い切ってしまうなど、オラクル魂は未だ健在といったところでしょうか。今も昔もオラクルはデータベースが大好きな技術者がプロダクトの設計開発を行っているのでしょう。OCIのコンソール画面を見て、「Oracle 7」の「SQL*PLUS」で“Create Database”と入力していた時のワクワクした気持ちを思い出しました。
社会や技術の進展によりビジネススピードが一段と速くなり、企画立案から新システムを稼働させるまでのリードタイムはますます短くなっています。開発当初の要件が曖昧であっても、運用の中で迅速にサービスの価値を向上させていくDevOpsのような開発方法論も出てきました。NoSQLを用いて構造化されていないデータを扱うケースも増えています。
しかし、どんなに社会環境や技術が変化しても、データの重要性は増すばかりです。データベースのトップベンダーであるオラクルには、これからもデータやデータベースの面白さを伝え続けていってほしいと思います。
<プロフィール>
山本景一氏
大阪大学卒、民間企業を経て、京都大学探索医療センター検証部に所属。京都大学医学研究科臨床試験管理学分野にて学位取得後、国立循環器病研究センター、大阪大学、和歌山県立医科大学(現職)等で臨床研究・予防医学・医療情報分野の研究・業務に携わる。一般社団法人PHR普及推進協議会 理事。博士(医学)、システムアナリスト、データベーススペシャリスト、ORACLE Master Platinum 8, 8i
参考文献